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当サイトの訪問者のかたから、ごくたまに 暴走族についてのメールを頂く事があります。 たぶん、私が紡木さんのファンサイトを運営していく上で、さけて通れない道ではないかと思い、 私の「ホットロードと暴走族」についての考えを書かせて頂きます。 紡木さんの言うように、どんなにつらい苦しい想いも時がたつと、 素敵な思い出になります。 暴走族。 今から二十数年前、”ナイツ”と”漠統”のように、 敵対する”湘南”対”東京”の暴走族が連合を組み、 計800人を超える大抗争事件が湘南で起きました。 それから年月が経ち「ホットロード」の頃はまだ、 暴走族は全国的に社会現象と言われている時代でした。 そんな頃、片瀬江の島で暴走族の子らによる一般人への殺人事件もおきました。(備考▼) それから10年以上の月日が経ち、その規模は縮小化しつつも、 現在の湘南にも暴走族と言われる人達が夜の江の島付近に集うとききます。 たま~にホットロードについてのメールを頂きます。 ホットロードに憧れる、暴走族に憧れる、もしくは自分は昔暴走族にいた、そういったものです。 一方、何件かこういったメールも頂きます。 「ホットロード」に否定的な意見をもった、 地元・湘南にお住まいの皆様です。 暴走族による夜間の騒音。 住宅街には、グラフティと呼ばれるスプレー文字の壁の落書き。 湘南の治安は一部の暴走族によって乱れました。 それを痛感する地元の人たちにとっては、暴走族をさも肯定するような作品を好きになる事などできないという、湘南にお住まいの方がたです。 紡木たくファンサイトを開設して4ヶ月、私は初めて大きな壁に当たりました。 当時「ホットロード」に描かれている世界に少なからず興味を持った愛読者の私は、青春時代のあの頃の感情も忘れていません。 ですが「好き!」では済まされない現状がここにあるのです。 事実、「ホットロード」に描かれた美しい湘南の景色の中には、 皮肉にも”暴走族対策”として現在姿を変えた場所が多く存在するのです。 車が進入できないようにした広場、夜間は走行が限定される道路・・・。 この私自身、正直、大人になりすぎてしまい、いま暴走族に好感を持つ事はできません。 それは、私は過去に暴走族に関わった事もなく、蚊帳の外の人間だからでもあります。 その昔そこで青春を過ごした人にとってはそれもまた大切な思い出であり、 それに、あの頃と今とでは、暴走族に限らず犯罪が多種多様化し、内容も悪質な物へと変化しています。 私は「ホットロード」について考えました。 そしてこう思いました。 「ホットロード」は決して暴走族を肯定していないと。 「ホットロード」では暴走族の春山はヒーローであり、和希はヒロインです。 その生き様は格好良く描かれているし、 暴走族の”魅力”が全編にただよう点は否めません。 ですが、紡木さんが「ホットロード」で描きたい事はそんな小さな事ではなく、 むしろ「ホットロード」は、取り返しのつかない過去にいずれなっていく行為こそ否定しているのではないでしょうか。 「やってしまったことは もう 消えない 世の中は そんなに 甘くない」 「ホットロード」MC第4巻201ページのこの言葉は、 紡木さんの心の底からの訴えなのではないでしょうか。 こういった紡木さんの心の叫びは、漫画の随所に見る事が出来ます。 「暴走族なんてかっこいいもんじゃないんだよ」 これは、春山が意識不明の重体の中、絵里のお姉ちゃんが言う言葉です。 また、春山がシンナーを吸っているシーン。 「おまえのダチがアンパン(=シンナー)で死んだの忘れたのかよっ」 「おまえはそんなに死にたいのかよっ・・・」 トオルは殴ってでもそれを止めようとしました。 そして、ママの彼氏”鈴木君”。 作品の終盤では重要な人物となり、命の大切さや家族愛について私達に話し掛けているように感じました。 きっと紡木さんも、暴走族の知人がいて、そしてその知人を失った痛みを知り、 命の大切さを読者に伝えたい、そんな背景があの作品にはあるのでは、と思っています。 ところで、「ホットロード」が当時の湘南の治安に影響していたか?答えはyesだと思っています。 でも、直接の影響ではありません。 メディアのとりあげかたが問題なのです。 集英社とはまったく無関係の出版社で、ティーン向けにつくられたファッション誌が「ホットロード」一色に染まった時期がありました。 あの頃の当誌は、「ホットロード」を暴走族のバイブルにしたてあげました。 「ホットロード」で紡木さんが訴えたい想いとは完全に逆走していたのです。 当時の私達はまだまだ若くて、単純だった。 「ホットロード」にハマったら、やっぱりそれを特集している雑誌に興味を持つ、そして紡木さんがどう想っているかなど考えずに、その雑誌の意向に洗脳されていく・・・ 中学生の頃、「ホットロード」に夢中だった私も、少なからずそういう世界に興味を持った一人でした。 ですが、言葉どおりその雑誌は内容を暴走させ、暴走族で命を散らした少年少女をさも素敵だ、かっこいいと飾りたてているような”手記”など掲載していたからです。 ”なんか違うぞ!”と気付き、その雑誌を読むのも嫌になってしまいました。 「ホットロード」好き! ↓ 暴走族に興味がある ↓ 特集している雑誌に興味をもつ ↓ 暴走族ってかっこいい! ↓ 暴走族で命を無くすのもまた美しい人生。 そんな単純な図式さえ浮かびます。 それはまさしく、紡木さんの想いとは完全に異なった もう一つの「ホットロード」を作り上げてしまいました。 他人に迷惑がかかっている事はその光の中にいたらきっと気がつかない。 もし気付いていたって構わない。 どうせ自分たちを理解していないと自ら壁を作ってしまう。 その中にいる人間と外にいる人間ではお互い理解できぬ感情があるはずだ。 今が楽しければいい。 私にも楽しければいいと周囲の白い目を無視した過去がある。 でも、暴走族は楽しい事ばかりではない、危険と背中合わせである事にいつか必ず気付いて大人になって行くに違いありません。 守るものを見つけた時からその人にとっての暴走族は「過去」になるのでしょう。 「がんばってね和希 がんばってね」 「ホットロード」の最終ページです。 たくさんの愛を受けている事に気付いた和希には、 愛する人の為生きる事を望んだ春山には、 そして愛する妻と生まれてくる子供を守る父親となったトオルには、 もう暴走族への未練はまったくありません。 そんな光り輝く彼らの背中はとっても素晴らしいものでした。 ホットロードは決して暴走族を応援し肯定する作品では無いと私は思っています。 愛する人が死んだ姿を想像する。 そして、その場で泣いている自分を想像する。 自分が死んだ姿を想像する。 そして、その場で泣いている一人一人の顔を想像する。 その人の為にも今を大切に生きたい。 暴走族に身を寄せている人も、遅かれ早かれ気付くのでしょう。 自分を、愛するあの人を、家族を、そして今と未来を、どうか大切にしてください。 若い瞳が光り輝く青春。 でも、”死”とは決して「かっこいい」の代償には値しないのです。 P.S. 「ホットロード」への肯定・否定、さまざまなメールを頂きました。 それぞれの皆さんの想いをきちんと受け止めきれず、ごめんなさい。 自分なりの意見をこの場を借りて書かせて頂きました。 ただこれも、”今現在”の自分の心境を摸索したものすのでご了承ください。 ■参考:湘南片瀬江ノ島で一般人が暴走族メンバーに暴行を受け死亡 ホットロードが連載を終えて2年の月日がたった頃。 1989年(平成元年)4月17日夜10時過ぎ、 小田急江の島線の「片瀬江ノ島」駅前の広場にて、 毎日新聞論説室顧問の吉野正弘さん(当時56歳)が、 暴走族に暴行を受け死亡。 吉野さんは広場にいた暴走族に”うるさい”などと注意をしたところ、逆上した暴走族メンバー2人に殴る蹴るの暴行を受け翌日死亡した。 このあたりは暴走族の溜まり場となっていて、 住民らは騒音などに頭を抱えており、吉野さんもこの近所に住んでいた。 現在この片瀬江ノ島駅前広場は車などが進入できないように なっている。
photo by: shun. |